前回製品リリース的に前後してしまったが、私のiPhoneとの思い出話に戻そう。初めて買ったスマホはiPhone3GS。あれはかなり良かった。丸っこいフォルムにちょっとリッチなスピードアップ感。あの頃は、手の中に未来が詰まっていた。
家庭ではジョブズの様にプレゼンし、自分の周りでは誰もフリックなんてしていなかった。ガラケーがスマホに取って代わるなんて誰も信じてくれなかったし、ボタンの無い電話に誰も見向きはしなかった。
このマイノリティ感が逆に、リベラルアーツとテクノロジーの交差点に立っていたつもりで心地良かった。
師が言ったように、PCは手のひらに収まり、普及台数を取っても価格をとっても、あの頃のPCのような立ち位置である、そして今、スマホに10万以上出す時代が来た。
今後もスマホの進化に期待したいところなんだが、どうやら彼の発明で皆が皆10年も歩み続けてしまったようで、挙句の果てには、スマホがPCの様に繋がったり、カメラにLightroomが入ったり、先の見えない未来は玉石混交で、さほど進化のない(一世代前のユーザーががっかりしない)品質なのに、今や価格もとうとうMAXとなってしまった。
ならばAndroidでもいいんじゃないの?と言わんばかりのpixel 3が対抗馬のように担ぎ出され、昨今賑わいを見せている。が彼もまた、蓋を開けると性能の割には高かった。
そんなこんなで、今や多くの古巣iPhoneファンが気づき出してきているんだけれども、それらは最近はじまっていた訳ではなくて、私自身iPhone5辺りから統一感を崩すアップル製品を気にはなっていた。
今のずっとずっと前にこじらせた風邪がぶり返しては、また風邪ひき起こし、懲りないガジェット好きな私はiPhone5Sの後にAndroidに浮気した時期がある。
今となっては機能のパクリ合い合戦になっていた時期で、通知センターの導入は正にそれだ。
結果から言うと当時のAndroidも初期に比べ、悪いものではなくやはり良き隣人だった。荒削りだが、そこはお互い様で過去のAppleみたく単なる偏見だった。
その後の熟れてきたAndroidを触った時も同じ匂いがした。仮想敵国を作り、忠誠心を試していた日々が何だったのだろうと視野が狭かった自分を恥じた。
今で例えるとホームボタンが消え、ちょっと触った程度ではAndroid 9 PieとiPhone XのUIに大きな違いなんてないのかもしれない。
イノベーションにはいつも良きライバルが必要だ。
そう言いつつも決定的な差が出ることもなく、iPhoneへは行ったり来たりで遅れながらも今も定期的に買い続けている。
ある人は10年経った今でもネットとメールがメインで、ある人は家計を指先でコントロールして、家計や時間の節約をしている。
またある人は暇つぶしの道具としてゲームをしていたり、ネット自体が知り合いとの繋がりだと思っていたり・・・。
現にオンラインとオフラインの解らない世代が一緒に働いていたりもする。この世代はググるとか知らないらしい。
更に子供達はというと、教える事もなく声で検索していたりする。ネットとは意識せず繋がるものがあるべき姿なのだろう。
自分の学生の頃は、ごくごく普通の女子大生友達もオールインワンPCを持ってインターネットしていた。あの時と同じように、この10年でスマホがPCに取って代わったのだと思う。
出来ることと価格を考えたら、多くの人達はあの頃とさほど変わってないのだ。
話はさらに古くなるが3GSでスマホデビュー後、生粋の信者らしく4S→5sとS組を謳歌していたのだが、クック船長はまたまたジョブズの黄金比を変えた。
Androidの様に大きくなるiPhone6の登場でこれまでのバランスを崩すクック船長の挑戦に何かマンネリを覚えた。(iPhone5以降でやんわり崩しにかかっていたのだが、この辺りは8→Xに通ずる)
ここで嫌気が差して私はガラケーとAndroid(名機ズルトラ)二台持ち(MVNOデビュー)をこじらせる。世の中は世界に追いつきSIMフリーが来る!と飛び出した。
しかし、良くはなったと言えまだ比較すると、Androidは細部が弱く、やっぱり6こそ新しいサイズのiPhoneだ!とSIMフリーや白ロム戦国時代を良いことに、元の鞘に収まる。
その間にZ3Compactを渡り歩いてもみたが、すっかりAndroidメインで行く事は時期が早かったかと諦めた。
ここで何故かクラウド至上主義のもと16GB縛りを試す。自分は結局、iPhoneユーザーに戻ってもGoogleとは別れられないと悟る。
それまでiPhone6の変革に、「こんなDラインとか、ジョブズが天国で怒ってる」と揶揄してた癖に、やっぱり片手で扱える小さなSEを持ってみると、またもやジョブズの亡霊と復縁した気になってしまった。
忠誠心が薄れた罪悪感なのかもしれない。
ある時期は「SEは、これはある意味6sの代わりなんだ・・・。」と、当時の先端に指を咥えながら、頭ではまだまだ出戻りApple信者であると唱えていた。
そんなこんなで今は7を使っている。もちろん小さい方。パートナーは7Plusで何不自由ないと今も言っている。
世の中の大多数であるご意見と同じである。置くだけで充電される8でなんの不満もないだろう。
今となってはコスパ良すぎる。
紆余曲折、私の傷だらけのジェットブラックは、もはや鏡面仕上げのiPodを思い出させるぐらい磨いたが、そこには幾度となくAppleの忠誠心と戦った傷だらけの自分が写ってた。
このiPhone7で当時の先端組にようやく戻ってきたのだが、新しいiPhone8を見ては、Apple以外でもイノベーションはあるのだという持論を擁護する為に、ブレイクスルーは終わったと自分にまたまたまた言い聞かせた。
その後、買い替えてたった1年なので、あれだけ10周年で騒いだXはスルーした。ついにこの長い戦いが終わりを告げ、スマホのゲーム・チェンジが来ると狂喜乱舞したのも今や昔の話。
先にどこかで見た姿に、これがクックのiPhoneなのだ!とは思えなかったのである。いや、正しくは自分が期待値を上げすぎただけなのである。
そう言いながら、次の相棒にはホームボタンという帰るべき家はもう無いのだと悟った。
そう、甘さに慣れきった体は、甘い生活を当たり前のように履き違えていた。